ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

芸術が爆発した

嘘です。

ちょっとモヤモヤと分かってきた程度の話です。

 

フラっと直島に行ってきた。

 

「だいたい、何度直島に行ったら気が済むんだ」

「一体直島に何があるんだ」

「アートの島と巷では話題だが、そこまでお前は芸術に関心があるのか」

と多方面からツッコまれてもおかしくないのだが、行ってもなにもないし、芸術には特にどころか全く関心がない。

 

たいてい、いつも借りた自転車を乗り回すか、海を眺めて釣りをしているだけである。

時々美しい景色に出会って写真を撮る。

 

 

でもこれは、別に直島でなくともできることだ。

探せば他に候補はある。

 

 

ただ、ここでしかできないこともある。

 

直島にいる友人とくだらない話を夜までエンドレスですることだ。

 

島に新しい店ができたであるとか、amazonでモノを頼むとどうなるかであるとか、島民限定の出会いパーティーがあるとか、そんな類の話だ。

訳のわからない話が多すぎて、もう自分が今本土で悩んでいることなどどうでも良くなる。

飲み屋がない上に、唯一のコンビニであるセブンイレブンが10時に閉まるので、早めに買い出しをして、海辺で話をすることも多い。

 

 

そして、もう一つ。

彼の島民パスを使って美術館に行きまくることである。

アートな島というだけあって色々回ると結構値段が張るのだが、それがすべてタダになる。

 

世界的に見ても相当ハイレベルな作品が大量に展示されているらしいのだが、こうなるともういよいよ訳がわからない。

絵だけではなく、空間を題材にした作品も多い。

日本語どころか、言葉ですらないのだから、どうクレームをつけていいのかもわからなくなる。

 

頭を回し、ペダルを回し、頭を回し、ペダルを回し、へとへとになってウマいものを食う。

海と風を感じながら、大声で馬鹿話をして盛り上がる。

結局それが一番幸せなのかもしれないし、その幸せを確実かつ強制的に得られる環境を知ってしまったからこそ、病み付きになるのかもしれない。

 

 

アートに関してはやっぱり分からない。

 

ただ、自分の中で少し解釈ができるようになった事象があるとすれば、表現方法は文字や言葉だけに限られないということだ。

 

人それぞれ得手不得手はあるわけで、それが文章の人もいれば、絵の人もいるはずだ。

 

「この絵はどういう解釈をすればいいんだ?」

みたいな質問に対する答えはそもそもなくて、言葉では説明がつかない。

 

だってその絵が伝えたいことを文章で書けるなら、絵なんて最初から描かないからだ。

 

その人にとって文字に落とせない、絵でしか表現できないことがあるから絵を描いている。

 

であれば我々受け手は、その作品について解釈したり、考えたりするのではなく、いかに感じられるかということに全力を尽くすほかない。

 

その作品と、その作品の奥にいる作者と、ちょっとは対話できたかどうか。

それが芸術の醍醐味ではなかろうか。

 

 

そういった心構えで、このぽつんと置かれた木の枝と対峙してみよう。

 

ほら、だんだんその枝が意思をもって動き出しそうに見えないか?

 

。。。

 

 

ただのナナフシであった。

 

直島の自然はやっぱり豊かだ。

 

Q.E.D.

NHKの集金と戦い、勝利し、少し申し訳なく思う

新しい家に住み始める際、注意しなければならないことが二つある。
これを見落とすと、せっかくの新居生活が台無しになってしまうので、気をつけないといけない。

一つは水道代の支払いである。

新しい家に住み始め、喜んでいると、そのうちペラっとした請求書が届くのだが、この紙では支払いができない。

「なんだよ。これじゃダメなのかよ」
と思っていると、また1ヶ月後にペラっとした紙が届き、やはり支払えない。

そのうち「なんだ、もともと口座振替だったんだ」

と根拠も印鑑もない、謎の自信が湧いてくる。

その後、”クレジットカード払いへ切替ませんか?”みたいなハガキが来るのだが、関係ないわ~と思って無視していると、それが支払書だったという罠がよくある。


気づけば支払期日が過ぎていて、数日間風呂に入れないかもしれない恐怖と戦うハメになるのだが、そこは水道局。

闇金みたいに「オラオラ、金返せやー」と凄まれることもなければ、
銀行みたいに「お客様、延滞はマズイです。次のご融資に響きます。今すぐにご入金を」とロジカルに脅されることもない。

一週間ぐらいすると、おとなしめの「催促状」が届くので、それを持ってコンビニに行けば、万事解決、花の新居生活である。

 

しかしこれをクリアした後に、もう一つの罠が待っている。


そう、NHKの集金だ。


入居の際、頑張って交渉して下げた家賃も、これが来たら台無しである。

最近オレオレ詐欺の手口が多様化し、手が込んできているという噂をよく耳にするが、NHKの集金も負けず劣らず、かなり進化している。

ネットに載っている一昔前の方法では、とてもじゃないが太刀打ちできない。

以前であれば、とても人の良さそうな年配のおじいさんが、汗をかきながら、すごく申し訳なさそうに集金にきて、同情を誘う、という作戦が一般的であったが、今は少し様子が違っている。


今日来たのも、イケイケのベンチャーで働いていそうな、若い男の方であった。

長身、長髪、イケメン、スーツという出で立ちで、もはやNHKの集金とは思えない。


そう、もこみちだ。

 

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もこみちがNHKの集金に来ている感じだ。

 

ロジックもしっかりしている。

「お客様、NHKの支払いはどうされていますか?」

「NHKは以前引越しをした時に、実家で払うように手続きしたんですけど」

「申し訳ございません、受信料の方は家ごとの集金になりまして」

「はぁ」

「失礼ですが、こちらの賃借人様はどなたになりますか」

「私ですが」

この時点で、インターホンに出てしまったことを割と後悔していた。

京都から引っ越す際、実家に住むことにして、NHKから解放されたのをすっかり忘れていた。

何より、賃借人という言葉をしれっと使うこのもこみち、なかなか手強い。


「であれば、すみません。払っていただかないといけないんです」

「でも、見てないですし、そもそもテレビがないんですよ」
本当だ。
テレビもラジオもwi-fiすらない。

「なんなら部屋の中を見てもらってもいいですよ」

散らかっているが、そんなことを気にしている場合ではない。


「恐れ入ります。テレビの有無に関わらず、電波を受信されている方すべてにお支払いいただくことになっているんです」

「えーっと、じゃあアンテナか何かを取り外せばいいんですか?」


以前どこかで見たことのあるNHK対策をとりあえず口ずさんでみる。

強制的に部屋に電波を受信できなくする方法だ。

どうせ見ないわけだし、見れなくなっても問題はない。


「いえ、ワンセグチューナー付のタブレット端末及びPCも対象になりますので、アンテナを取り外していただいても、受信はされていることになります」

「…はい?」

よくわからないので、根掘り葉掘り聞く。

「………!」

衝撃だった。


さっくりまとめると、テレビがあろうがなかろうが、見ていようが見ていまいが、大体の人が持っているスマホとかPCにはTV機能がついているので、NHKを勝手に受信してますよ~、ということだ。


「こちらにスマートフォンの品番もございますので、ワンセグ対応かどうかすぐにお調べすることもできます」

「はぁ」

電機屋か、お前は。

「今ですと、もう大体ほとんどの機種にTV機能がございますね(ドヤ)」
「ほぅ」
「ですので、」
「あー、一応確認してもらってもよろしいですか?」

これはもうどうにもならないな、と思い始めていたのだが、とりあえず抵抗を試みる。

相手がもこみちだから、という理由だけで簡単に引き下がってはいけない。
おばさんだったら、イチコロなのかもしれないが、残念ながら私はおばさんではない。

 

「メーカーはどちらになりますか?auですか、softbankですか、それともdocomoですか」

「えーと、y-mobileでsimフリーのを使ってるんですけど」

「……、e-mobileですか?」

「いえ、y-mobileです。今持ってきます」

 

電機屋かと思ったが、そこはやはりもこみちであった。

それほど機械に関する知識はないらしい。


部屋にもどり、複数あるスマホのうち、どれを持っていくかを考え、手持ちのスマホで勝負することにした。

念のため、言語設定を英語に切替える。


ドアを開け、全く自信はないものの、ドヤ顔でもこみちにスマホを渡した。

交渉の基本中の基本はハッタリをかますことである。


「どうぞ」
「ありがとうございます。確認させていただきます」
「多分テレビの機能ついてないと思いますけど」
「そう…ですね」


リストに載っていないスマホが出てきて、明らかに動揺している。

しかもメニューは英語だ。画面をスクロールしても、内容がよく分からない。


「確かに、こちらの端末にはテレビの機能がついていないようですね…」

 

 


おっ。

 

 

「あ、パソコンの方も持ってきましょうか?多分見れなかったと思いますけど」

「…えぇ。よろしくお願いします」

チャンスだ。

あれだけ自信に満ち溢れていた、もこみちの表情がいまいちになっている。

 

 

 

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再び部屋に戻り、複数あるパソコンの内、どれを持っていこうか考え、ダンボールに眠っている全く使っていないパソコンを取り出す。


「どうぞ」
「恐れ入ります」
「これもテレビは見れなかったと思うんですけどねぇ」

本当だ。

「メーカーはどちらになりますでしょうか」
「HPです」
「…」

さすがにPCのリストまでは、NHKも作っていないのだろう。

電源をつけることもせず、そのまま返却された。

 

「ありがとうございます。こちらも大丈夫です」

 

どうしたものかといういまいちな表情のまま、チラッと部屋の中を見たので、


すかさず、「あれはモニターです。お持ちしましょうか?」
と言う。


「あぁ、大丈夫です。お時間取らせてしまい、申し訳ございませんでした!」

そして、そのまま帰ってしまった。

 


ふぅ。

 


しかし、なんだか居心地が悪い。

自分が何か悪いことをしてしまった気分だ。


別に生活に困窮しているわけではないし、NHKがなくなっても困るので、支払いもやむなしと思っていたのに。

NHKがもっと色んな人材を想定していれば、自分もしっかり枠の中に収まったのに。

 

いずれにせよ、もこみちには何か埋め合わせしてやらないといけないな。


そんな思いで、今、本屋に来て、ブログをバコバコと打ちながらMOCO'S キッチンのレシピを読んでいる。


Q.E.D.

ドーナツのたとえ話

少し難しいことを書く。


「同調的圧力にさらされた上で、なおこだわりを保持できるか」 というテーマについてだ。毎日単純作業をしていると、時々書きたくなるのだ。 許して欲しい。
人は誰しもこだわりを持ってるが、その程度はまわりの環境に左右されると、最近気がついた。

ドーナツを例に挙げよう。目の前にミスタードーナツ10個入りの箱があったとする。 そして自分は好きなドーナツを手に入れたい。

好きなドーナツといえば、まあ大抵はチョコファッションだ。 チョコファッションという前提で話を進める。

それからもう一つ。 ドーナツを分け合う人の中で自分は一番立場が下、という前提で話を進めよう。

 

自分の家であれば、我先にとチョコファッションを確保しにかかるだろう。Dポップがいかにお買い得であろうと、やはりチョコファッションだ。幼いが故のわがままは、たいてい許される。

これが部活のミーティング後であれば、ちょっと難しい。

もちろん上下関係はあるのだが、たかがドーナツ一つで威張るなんてくだらないと思う優しい先輩がいるかもしれないし、その時の自分の実力や調子が先輩を凌駕するものであれば「先輩、僕はチョコファッションが食べたいです」と主張すればいい。

勝ち取れる可能性は大いにある。

 

しかし、これが会社になってくるとそうはいかない。

下っ端は余り物と相場が決まっている。 そもそも組織の秩序を築くために、ドーナツを買ってきているのに、僕らが我先にと自分の好きなものを取ってしまったら、元も子もないもない。可能性があろうとなかろうと、勝ち取ってはいけないのだ。

できることといえば、自分の嫌いなドーナツが回ってこないように祈ることぐらいだ。

 

自分のチョコファッションが食べたいという欲求は同じでも、環境によってこれだけの差が出てしまう。ドーナツ軸上に3つの立場を並べると、明らかに社会には出ない方が良さそうだ。チョコファッションもDポップも確実に回ってこないだろう。

けれども、みんな基本的には社会人になる。

 

なぜか?

 

それはドーナツを妥協してでも、その環境にいたいと思える理由があるからだ。

欲求を押さえ込んでまで、手にいれたい何かがあるからだ。それは端的に言うと、社会的安定という言葉になる。薄っぺらいし、格好悪いけど、これは一度働いてみないと分からない。

バイトでは考えられない額のお金と福利厚生を得ることができ、とりあえず月から金まで朝ちゃんと起きて会社にいけば、毎月お金が入ってくる。 入社1年目でも住宅ローンが組める。

たとえ自分の好きなドーナツが食べられなくても、ドーナツを食べる家を買えることの方がよっぽど大事だろう。 ドーナツへのこだわりを捨てて、安定した職位を保てるなら、喜んでチョコファッションとオールドファッションを交換するだろう。

 

そうこうしている内に、もうドーナツのことなど、どうでも良くなってくる。

こだわりを我慢することよりも、こだわりをなくすことの方がよっぽど楽だからだ。

人間というのはとてもよくできていて、自分に都合の悪いことは、忘却したり、書き換えたりすることができてしまう。 そしてそれに気がつかない。

「俺はドーナツだけは誰にも譲らない」と書いてトイレの壁にでも貼っていれば話は別だろうが、普通は自分のこだわりなど忘れてしまう。
さらに周囲がみんな、そんな感じだと、もう何の問題もないように感じる。
実際、何の問題もない。

 

「いや俺はちゃんとドーナツ一つ選ぶにもこだわりを持ちたいんだ」 と言うには勇気がいるし、バカだと思われる。

お前はドーナツの為に、この恵まれた状況を捨てるのか、と。

そこで冒頭のテーマにもどるのだが、そういった環境においては、”ドーナツにこだわりを持っている”という状態を保持することすら非常に難しいのだ。

 

ずっと自由人でいたい訳ではない。起業家になって世界を変えてやるなんて、大それたことを思ったこともない。

ただ、自分が違うと思うことは違うと言いたい。 嘘をついている自分にせめて気づける環境にいたい。

そんな小さなこだわりだけは、どうやら持っているらしい。

 

そして、その小さなこだわりのために、色んな普通じゃない恵まれたことを簡単に捨てれるかというと、自分の場合は余裕でイエス。一点の曇りもなく、イエスだった。

 

そこまで頭を整理して、自分に嘘がないかを確認するのに1年ちょっとかかったという話なのかもしれない。

そういう意味では、進路選択に関して、ああでもない、こうでもないと言い、あれこれ考え、海外でフラフラして、理想とのギャップを最小限にして入社するというスタイルはある種理想的であるけれど、もったいないなとも思う。

であれば、よくわからないけれどさっさと働いてみて、このモチベーションとこの仕事量でこれだけお金がもらえる世界があるのかということを知って欲しい。

そのお金でもって、自分で生計を立ててみて欲しい。

その上で、なおその自分の理想を貫こうと思うのか。それとも理想をちょっとだけ変形して、その組織の中でも叶えられる形にして、豊かな暮らしを享受しようと思うのか、自分に問うてみて欲しい。

 

大企業のどこが良くて、何がいけないのか、なんていうのは昔からある議論だし、本を読めばいくらでも書いてある。

なんなら、そこらへんのブログにもいっぱいある。で、実際働いてもだいたいその通りだ。あー、このモヤモヤは言語化するとそういうことなのか~と分かる。

だけど、それはクソだと思って辞める決断をできた人達の意見の集合体でしかなくて、自分がその場にいて、そういう決断をできるとは限らない。

そして大多数の人がなぜ働き続けているのか、ドーナツと引き換えに何を得ているのかを、実感を持って理解するには働くしかない。

 

本当に賢明な人は、わざわざそんな環境を選ばないし、生活は苦しくても自分に合った環境で伸び伸びと生きる。けれども、あえて“向いていない”恵まれた環境で働いてみて、それを捨てたという経歴を持って、次へ飛び込んでいくことにも、一定の価値はあると思う。

 

そういった意味で、若さは大きな武器だ。ダサいわがままを、勇気ある挑戦に書き換えられる。だから、一つ年を重ねて、ますます時間の大切さが身にしみるのだ。

 

そうだ、一つ抜け道を話すのを忘れていた。

 

あえて人気のなさそうなオールドファッションを選んで、自分で買ってきたチョコをかけて冷やすと、世界でたった一つの上質なチョコファッションを作ることができるのだ。

 

楽しそうだと思わないか?

 

Q.E.D.

China advice

成都にいってきた。英語でチェンドゥーと読む。

蜀の劉備がいた街だ。もちろん中国である。

どこにあるかというと中国の真ん中らへん、真ん中らへんといっても緯度的には沖縄ぐらいのところである。

何があるかというと、よく分からない。

よく分からないけれども、航空券が安い、GWにわざわざ行く人が少なそう、そして自然は間違いないだろう、という理由で行くことにした。

他にも理由はあると思うが、まあ大体そんなところだ。

今回の旅は一人ではない。

4月18日に東京の友達に誘われた。4月18日に、だ。


二人組の旅行はあまり好ましくない。一人見失うと、異国の地に自分一人取り残された気分になる。

三人組はそれに比べると悪くない。三本の矢、文殊の知恵。悪くないが最適でもない。三角形は安定しているが、逆さにするとアンバランスだ。

それに三人乗りのタクシーは少し無駄が多い。タクシーに三人乗るのも四人乗るのも同じならば、四人の方がいい。五人は乗れない。

というわけで旅行に行くならば四人だ。


そう彼が考えたのかどうかは分からないが、とりあえずあと二人探そうという話になった。


ただ、出発10日前に「GWまるまる空いてます」などという人は、まずいない。

というか普通の人はGW中の平日は仕事をしている。そもそも休みですらない。

学生は一丁前に「予定を入れている」もしくは「金がない」などとほざく。

退職したおじいさんを「友達だ」と言い張れるほど老けてもいない。せいぜい間違われても課長止まりだ。

流石にインポッシブルではないか、そもそもミッションなどなかったのではないかと半ばあきらめかけた時、それをかいくぐってくる強者がいた。

今将に会社を辞めんとす、友人だ。

私の友人ではなく、彼の友人だ。私の友人の友人にあたる。

「北京は行った」

ということで行き先はやはり成都。

「何があるの?」「僕もよく知らないんだ」「ふーん」

「とりあえず航空券取ろっか」

ひとまずタイムリミットということで、チケット入手。

残る一人は現地調達、というわけだ。


今後、成都に行く人の為に街の情報を書き記しておく。

・ただの都会、めちゃめちゃ過ごしやすい
・料理は辛い、唇が痺れる
・物価は日本の3~5分の1ぐらい
・観光客はあんまりいない
・タクシーは百発百中で英語が通じない
・ええ奴が多い
・「アァ?」とよく言われるが、キレているのではなく「Pardon?」と言っている
・ぼったくるという概念がない
・マジでええ奴が多い
・真面目な顔をしていると中国語で話しかけられる

まとめると是非行くべき穴場的街だ。

僕らが想像している”チャイナ”をはるかに上回ってくる。

関空からは安ければ二万円台で行ける。

ミーハーな人が増えないことを願う。


旅は初対面の友人が宿の受付で寝ているのを見つけることから始まり、初対面の友人の朝帰りを無事確認することで終わる。

道中、本場の人もむせるほどhotな料理を食べたり、怪しげなマッサージ屋を発見したり、柵を飛び超えたら警備員が目を覚まして万事休すになったり、道行くおばさんに中国語で「かわいい」と言って小さな幸せを提供したり、四川大学の授業に侵入しようとして止められたりと、当然色々あったわけだが、特筆すべきは現地で旅の仲間が本当に一人増えたことである。

理想の四人旅。タクシー乗り放題、中国語喋り放題である。

よく分からないお得感はさておき、彼女はとても親切で一生懸命な人だった。

そして日本にはない魅力を持っていた。

同い年だけど、境遇も違えば、文化も違う。

でも確かに通じ合うものがあった。そしてたくさん学ばせてもらった。

ここで多くを語るつもりはないけれども、非常に大切な出会いだった。


ひとまず目の前の仕事を頑張ろうと思っていたが、無性に視野を広げたくなった。

海外へ飛びたくなった。

人と違うことをして、自分のレールを並べていきたいと思った。

そんな旅だった。

 

さあ浮世を手玉に取っちゃいな

ああ わたしも

虜になっちゃいそうな

チャイナ・アドバイス

(相対性理論)


Q.E.D.