ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

家賃とランチにこそお金をかけようじゃないか

「固定費を減らしたい」「貯金をしたい」

 

よくそんな話を耳にする。

 

かく言う自分も昔はそう思っていた。

アルバイトやサラリーマンは、月に稼げる給与が決まっている以上、手元にお金を残すためには支出を減らしていくしかない。

死語になったと聞いて久しい"エンゲル係数"なんて言葉もある。

なんだかんだ税金は引かれるし、社会保険料は結構バカにならない。

スマホ代も高いし、あまり足を運ばなくなったジムの会員費や、女性ならエステ代なんかもある。

たまにはお金を気にせずパーッと飲みたくなることもだろう。


そうなると、一番確実なのは何か。
と考え、大抵の人は家賃とランチの節約に行き着くのだ。

 

ケチの極みだった僕はことさらこの2つにこだわっていた。

大学の頃は、親戚の空き家を2万円で借りて4年間住み込んでいたし、社会人になってからの寮生活は家賃1万円、寮を出てからも好立地と低価格を両立しようと死ぬほど物件を探し、契約時にさらに値切った。
大学で部活をやっていた頃は一生学食で、旨くてカロリーとタンパク質が摂取できる安いメニューの組み合わせを日々考え続け、社会人になってからは会社の福利厚生により、ランチ代は月3000円程度に下がった。

その分、苦もなくお金は貯まるし、何かを買いたいと思った時に不自由した記憶がない。
それはそれで、ある意味幸せだったのかもしれない。

 

けれども、東京に来たタイミングで全てを変えた。

 

あの慣れない満員電車に毎日乗ってまでやるべき大層な仕事はないだろうし、食べたいランチを我慢しなければならないほどみずほらしい生活を送っているわけでもないはずだ。

通勤で限りなくストレスを溜め、昼ごはんすら自由に食べられないようでは、一体なんのために東京に出てきたのか分からない。
そこまでしてキャリアや高給を得たいとは思わなかった。
色んなことを我慢する人が多すぎるからこの街は息苦しくなるわけで、その中の一人になって、マジョリティに貢献するのは絶対にゴメンだった。
年齢的にもまだ意地を張って許されるタイミングだと勝手に思っている。

 

そして東京に来て感じるのが、見事にかけるお金とサービスの質が比例しているということだ。

東京は物価が高いというが、それは半分正しく半分間違っていて、「割高なものはあっても、割安なものはない」が多分正しい。

ボッタクりも当然あるが、値段相応に質の良いものもある。
安い家や安い食材はあっても、基本的に全てワケアリだ。

東京以外の都市のように安くて質の良いものは、ほとんどと言っていいほどない。
あったとしてもバカみたいな競争率にさらされていて、それをかいくぐるコストを考えると、トータルでは決して割安とはいえない状況だ。

 

となると結局「値段相応に質の良いもの」を手に入れることが正義となり、リビングコストは必然的に上がる。

そして、それがどんどんエスカレートして自分の予算の限界まで来る。

けれどもそれがかえって経済的なのかもしれない。

閑静な住宅街に済むことで喧騒から離れ、食べたいものを食べたい時に食べることで、疲れが癒される。
住居も食も都心に近づけば近づくほど高くなるが、その分あの満員電車に乗らなくて済む。

そのおかげで余計なストレスを溜め込まなくなり、結果として全体の支出は少なくなる、と思うのだ。


この売り手市場なご時世で、仕事にありつけない心配をしなくて良いのであれば、わざわざ東京に出てくる必要はない。
その中であえて慣れない東京に出てきている以上、仕事に思う存分打ち込んだ方がいいと思うし、借金しない程度にキャッシュフローが出ていれば、それでいいのではないか。

そんなことをようやく客観的に考えられるようになった頃には、すでに頭は海外に行っていて、何だかんだで東京生活はもうすぐ終わりを迎えそうだ。

 

仕事と地域特性によって、家賃と食に対するお金のかけ方を変える。

 

そんな真面目なのかアホなのか分からないことを、海の向こうでも考えながら生きているのだろうか。

 

答えはまあ、行けば分かる。