ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

続・インドで僕も考えた

「そうだ、インドに行こう。」


思い立ったのはいつだったか忘れてしまったが、東南アジアを制覇し、その他のアジアのマイナー都市にも顔を出すようになり、4月からヨーロッパに行ってしまうことを考えると、今しかないという思いが確かにあったことは覚えている。
未知の世界に行くワクワク感はないし、あの時の興奮をもう一度という大きな期待もない。

あるとすればそれは義務感と飢餓感が交じり合ったような、ある種押し出されるような感覚だった。

どうせなら、ということでスリランカから入り、バンガロールでいくつかビジネスの話もしたものの、今回の旅のメインはあくまでコルカタ。
それまでの行程はいわばウォーミングアップみないなものだ。

コルカタに着くと、適当に落ち着ける場所を見つけ、9年前、自分が高校二年生だった頃に書いたインド訪問報告記を読み始める。
自分の担当したページに行くと「インドで僕も考えた」という明らかに椎名誠からパクったであろうタイトルと共に、つらつらと当時の心境が書かれていた。


長い長いフライト、長い長い手続きをを終えて空港から一歩外に出ると、もわっと生あたたかい湿気が押し寄せてきた。道の脇には手書きの紙を掲げて、必死に何かをアピールしているインド人がざっと五十人。彼らと自分達の間は一本のロープで隔てられていた。有名人を取り囲むファンのようだったといえば想像がつくだろうか。彼らの前を通り過ぎ、バスへ向かおうとしていると、何の遠慮もなしに車が目の前を横切っていく。クラクションが絶え間なく鳴り響いており、何やら言い合いをしているインド人もいる。「怖い」それが僕のインドに対する第一印象だった。


こんな感じの書き出しだ。
昔の"僕"はほとんど初めての海外だったこともあり、過保護な環境で育ったこともあり、ただただビビっていた。
腹も壊したし、熱も出て散々な思いをした。心も体も削られ、ほうぼうの体で帰って来たと記憶している。
それが、再びコルカタの地に降り立った今の"僕"は、笑いながらタクシーの運転手と交渉し、ノールール状態の交差点を平然と渡り、新しくできた公園に暇人たちと一緒に寝転がって呑気に本を読んでいる。
信号待ちの時に出会った親切なインド人に教えてもらった街一番のレストランに行き、オシャレでマイルドなインド料理を黙々と食べ、ローカルな電車やバスも何なく乗りこなす。
随分と変わったものだ。
自分もインドも。
10年近くも時を経れば大体のものは変化していく。

 

最後の方にはこんなことも書かれていた。


しかし、僕は一貫してお金をあげなかった。別にお金をあげるのをケチったからでも、何か物乞いに対して恨みがあるからでもない。最初からあげないと決めていたからだ。僕はお金をあげることによって問題が解決した気になるのがいやだった。その場限りの「人を一人救えた」という小さな喜びや満足感にひたるよりは、お金をあげられなかったという苦い思い出として日本に持ち帰る方がよいと思ったのだ。
生意気だと思うが、僕らは一人一人をその場限りで救うのではなく、根本的に何かを変えなければならない。それに少しでも役立つためにはどうすればいいかと考えていかなければならないと思う。


自分でも書いている通り、17歳の青年にしては随分と生意気な発言だ。
大それたことを書いてあるが、この時きっと色々思い悩んだ挙句、この訪問記にはこういうテイストで良さそうだと判断して書いたに過ぎない。
色々と理屈をつけているが、さすがに今なら分かる。単にお金を渡すより渡さない方が気が楽だったからであるということが。
一緒に行った友人の言葉を借りると、あげずに「済ませた」ようなものである。

けれども心残りはどこかにずっとあった。
物乞いにお金を渡さなかったことではなく、このように立派な文章を書いてしまったことについて。


これまで数々の途上国を訪れて来たが、誰かに直接お金を渡したことはない。
いつも道端に倒れている人を見ては何か心に引っかりを覚えるのだが、そこを足早に通りすぎる理由を考えては逃げるようにその場を後にするということを繰り返してきた。
ASEAN諸国を制覇する頃には、そういう光景にも慣れてきて、もうほとんど何とも思わないようになっている。
ただ一つ、自分が高校の時、書いてしまった生意気な発言だけが心のどこかにわずかに引っかかっていて、それが最後の砦だった。

9年経って、あらゆるしがらみから解放され、ようやく同じ場所に戻ってくる機会を得た。そして、僕は物乞いにお金を渡すようになった。
社会のシステムを考えるなんて大それたことを言う前に、まずはやらなければならないことがある。
いつも小銭がないから、すぐに取り出せる場所にお金がないから、という理由でその場をやり過ごしてきた。だから、買い物をする度に嫌がられながらも、あえて細かく小銭を作り、常にポケットに入れておくことから始めた。

そうやってようやくスタート地点に立ち、お金を渡していく中で、気がついたことがある。


多分、お金を渡す、渡さないはどちらでも良いのだ。
大事なのは相手にどのくらい寄り添えるているかである、と。


子供を抱いて道端で倒れている母親がいた。枕元に置かれている銀色の入れ物に10ルピー札を入れた。お札が飛んでいかないように、必然的に歩を止めてかがみ込むことになる。その時に、彼らは毎日こんなにも低い位置から世界を見ていたのかということに気がづく。幼児よりもさらに低い視点でずっと街ゆく人を見ているのだ。その時かがんだ3秒間だけは彼らと世界を共有できた気がした。


次に道端に座り込んで何かをしきりに呟いている老人にポケットに入っている小銭を全て渡す。今度は小銭なので、立ったまま彼の手にジャラジャラお金を落とす。そして、そのまま通りすぎる。何も感じなかった。いや、自分がとても事務的だと感じた。チケット代を払っているわけじゃないんだからと。そして気づいたのだ。大事なのはお金を渡すというその事実ではないということに。


その後に肩の骨が異常に膨らんでいて、右腕が上がらなくなっている男性に遭遇した。じっと見ていると彼の元にチャイを持った男性が近づいていき、かがみ込み、話しかけ始めた。自分の持つコップよりもひと回り小さいコップにチャイを入れ、まあ元気だせよと言わんばかりにコップを勧めている。
ポケットに手を入れかけていた僕は、気まずさを覚え、その場を逃げるように後にしたことは言うまでもない。

 

ここではあくまで一例としてインドのエピソードを語ったが、これは別に貧困地域に限った話ではない。
都会であれ、田舎であれ、会社という特殊なコミュニティであれ、あるいは学校の部活動なんかでも似たような状況は起こっている。
日本は経済的には高水準なところにいるのかもしれないが、ある意味ではとても貧しい。
自分自身、学校、会社も含めて色々なコミュニティに属してきたが、その時に感じた歪みのような感覚は、きっとインドで感じたそれと同質のものだったのだろう。

もしそういった歪みに気付き、それを縮める向きに何かをしたいと思うならば、大切なことは2つあると思う。
自分自身の抱える問題を素早く解決し、自分以外の問題を考えられる余裕が持てるように努力すること。
そしていざ自分以外の誰か、何かに寄り添える余裕ができた時にきちんと寄り添うこと。
この2つだ。
後者だけしかできないとただ優しいだけの人になり、前者だけしかできないとひどく冷たい人になってしまう。

そして、僕は今、ひどく冷たい人のままだ。

でも少しづつでいいから、温かみが増していけばいいなと思う。

 

それが今回のインドで得た感覚であり、僕の財産でもある。

 

また来るからね。

 

Q.E.D.