ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

祝・アートに逆張り

この半年を一言でまとめると、

”社会人になって初めて「アンコントローラブルなストレス」から解放された期間”

だったのかもしれない。

個人レベルで見ると「東京に住んで、働く」というところに一旦落ち着いて、人生の方向性云々をしばらくの間考えなくて良くなった。
しばらくは周りと比べることをしなくていいし、プライベートの時間も十分に確保されている。
だから「今年はアートに張っていく」と宣言したわけだ。

https://hariom.hatenablog.com/entry/2019/01/04/163952


それでは、進捗を振り返っていく。


演劇鑑賞

近所にActシアターというのがあって、映画館だと思って入ったら全然映画やってなくて「あ、これがいわゆる劇場か」と気づいたのが最初。
中島みゆきの「夜会」がすんごい行列で、調べてみると全席2万円固定、しかも満員御礼。
顔が引き攣りつつ「あー芸術鑑賞とはこういうもんなんだ」と金銭感覚がインフレした。
大学入学時にロードバイクの相場を知って以来のインフレ。

Actシアターは舞台自体が大きく、設備も充実していて(可動式)なかなか本格的で迫力のある劇を楽しめるのだが、個人的には小劇場も好きだ。
近くにRedシアターというもあって、こちらは設備固定、役者も10人以下くらいでやるのだが、人間味があって見入ってしまう。
当日とかでも割とチケットが取れたりするで、フラッと行けるのが良い。
『Other People's Money』という1990年代のアメリカの資本主義を描いた映画を舞台化したものがやっていたが、原作よりも内容が濃く、とても良かった。
役者5人で2時間以上ぶっ続けでやって、映画よりいいもの出せるってマジですごいなと感心。
大々的にマーケティングとかやらないのが、またいいんだろうな。

ちなみにActで一番良かったのは『海辺のカフカ』
数少ない「複数回読んだ本」が原作だったので、舞台になっているのを見れるだけで、幸せであった。

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紙で情報収集する感じが今風じゃなくて心地よい

音楽鑑賞

「子ども演奏会」に大人一人で行ってきた。
主な対象は音楽をガチでやっている、又は(親が)やらせたい子供とその親。
親子・親子・親子と座っているところに一人だけ「大きいお友達」がいるので明らかに不自然なのだが、来ている方々のモラルが高いこともあってか、不審な目を向けられることはなかった。
演奏自体は短いが、節々で指揮者の方がその音楽の背景や根本原理を解説してくれ、子供に混じってフムフムと聞く。
「あのバイオリンは◯億円くらいするんだけど、一人じゃとても買えないから、持っている人に貸してもらっているんだよ」という隣席の父親の解説にも勝手にフムフム。
こうやって裕福な家庭の子供は自然と相場とかお金の仕組みを教わるのだな、と関心した。
まあでも、音楽鑑賞の魅力とか意味とか知識格差とか、そういうのをごちゃごちゃ考えずに、休日の朝から「音色」を聞くことが単純に心地よいし、それでいいんだと思う。

あと仕事終わりにオペラも行ったが、こちらは演劇などとはまた客層が違い、なかなかハードボイルド感高めでガチだった。
次はクソ暑い日に見に行って、その後ソーメンでも啜りたい。


ドラマ鑑賞

昔流行ったドラマを中心にまとめてガガっと見ている。
「電車男」とか「リーガルハイ」とか、誰に話しても「え、今更かよっ」となるものがほとんど。
あまりにもバカみたいなペースで借りるので、TSUTAYAの店員に新手のコピー屋だと思われているかもしれない。

俳優・女優の名前をほとんど知らずに生きてきたので、これだけ見てもあんまり覚えられない。
せっかく共通の話題ができたと思ってドラマの話をしても、「え、誰が出てるやつ?」となって終了。


映画鑑賞

レイトショーをフラッと見に行く。
余ったポップコーン片手に、歩きながら色々と回想して、家に着いたらすぐ寝るという流れがセット。
世間の流行を追いかけるのはまだしんどいけど、友人に勧められたものはジャンル問わずできるだけ見るようにしている。
また、それらに加え、ドキュメンタリー系のものも何度か見に行った。
特に歴史や政治に関するやつが良くて、自分のリテラシーの低さを痛感できたのが逆にありがたい。
従軍慰安婦問題を描いた「主戦場」は上映館が少なく知名度は高くないが、こういうのがもっと見られる世の中になって欲しいと個人的に思った。

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色々凝縮されすぎててCPU追いつかなかった

そこからwikipediaとか色々調べ出して「流石に参考書とか買うほど意識高くはないぞ」と思って漫画を購入。
次へすすむ。

漫画

上記の通り、歴史とか戦争のドキュメンタリーに触発され、この歳になって、難しい本を読む体力もないので「それならば漫画にしよう」と思い、戦争関連の漫画を買い始めた。
これまでそもそも漫画を読むという習慣がなかったので、広義の意味では歴史漫画に入る「キングダム」とかも当然知らなくて、「おーこの漫画こんなに人気なのか」と感心している。
今まで「漫画の◯◯の誰々みたいな感じ」と言われても一切ピンと来なかったのだが、これでちょっとは話が噛み合うようになるぜ、しめしめ。

ただ、勧められた漫画を片っ端から買っているので、現在進行形で漫画部屋になりつつある。
あー、せっかく今回の引越しを機に「物を増やさない」と決めたのに、、
この次はアニメに行くな、きっと。

美術館

海外に行った時にフラッと入ったりする。
これまで海外で行こうと思ったことがほとんどないので、選択肢が増えた感じがして嬉しい。
韓国の Museum SAN というまあまあ市内から離れた、まあまあガチなところに行ったが、展示が結構直島と被っているため、一人だけネタバレの優越感に浸っていた。

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そろそろ、森美術館に魂ふるわせに行きたい。

語学

朝に関しては昨年よりもさらにフレキシブルになったので「逆になんか朝用事作らないと、生活リズム狂ってしんどいぞこれ」と思って、朝できる習い事を探していた。
すると、ちょうど家と会社の間にまあまあでかい中国語の語学学校を発見。
早速、週二回だけ早起きして通い始めることにした。
国単位で見ると自分の中で一番訪れている国は地味に中国であり、かつ最も英語が通じなかった国でもある。
眠気を覚ますためにフガフガと口を動かすという意味では、あんまりラジオ体操と変わらないんだろうが、ストレスなく早起きできるので、満足している(笑)
本当はもっと意識高くやるべきなんだろうが、中国語を嫌いにならずに無理なく継続することの方がプライオリティが高いので、しばらくはのらりくらりやります。

アートを嗜む人たちとの対話

「自分にないものを埋めてもらえる」「なんかすげーってなって、色々どうでもよくなる」「アイデンティティ」などの声が寄せられた。
ビジネスサイドから見ると対極に見えるけど、きっと根本の部分は繋がっているのだと思う。

 

書いてて思ったけど、半年って意外と長いですね。

隠居老人みたいな暮らしをしておりますが、私は元気です。

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 Have a good time.

ヒアカムズザヤンキー

「てかさあ、なんでお前が社長やったん?」


同郷のヤンキーがタバコをふかせながら、どうでも良さそうに聞いてくる。
ダブダブのジーンズ、カマキリのようなメガネ、両手にギラつく金銀の指輪。こいつだけはいつ会っても変わらない。
普段から連絡を取るほどの仲ではないが、年の瀬に帰省した時には時々サシで飲みに行く。

「別に理由とかはない。強いて言うなら、お金に一番執着してたからちゃう」

会社を立ち上げた当時の動機を思い出してみるが、あまりピンと来るものはない。ノリと言うほど軽薄なものではなかったが、大きな信念や目標があって起業した訳でもない。
「いやいや、お前向いてないって、そういうの」
「え、なんで」
「自分の卒アル見てみいや。社長になりそうランキング圏外やで」 

卒アル。
果たしてそんなものがあったのかどうかすら覚えていないが、今でも地元を愛しているヤンキーが言うのだから、間違い無いのだろう。
こういう時のこいつは妙に記憶力がいい。

「ちなみに、勉強・運動・大金持ちになりそうランキングは全部1位。それで社長が圏外ってよっぽどやからな」
「え、すごいやん。大金持ちになりそうランキングも1位やったんか」
ゆとり教育と言われていた時代に、そんな露骨な投票企画が行われていたこと自体が驚きだ。
「アホか、優しさも面白さも結婚も全部圏外じゃ。どんだけ中身ないねんて話やで、ほんまに」

それを聞いてもあまり驚かないのは、今年色々と自分と向き合う機会が多かったからだろうか。
数値化できて分かりやすいものこそが全てと思ってしまう節がどうやら自分にはあるらしい。

「てかさあ、お前チャリ部で主将やってた時も死にそうやったやん」
ヤンキーに弱音を吐いたことはないが、付き合いが長いだけあって、大体お見通しらしい。
「あれがあったから社会に出てから、すごく楽になった」
「それは結果論やろ。そもそも何でそんな不毛なことをわざわざ大学でやるん」
「そこしか居場所がなかったから」
「いやいや、意味わからんし。俺が大学行っとったらやりたいこといくらでもあったわ」
ヤンキーは高校を出てから働き始め、年に一度は仕事を変えている。毎年聞くのも面倒なので、いつからか仕事の話はしなくなった。

「体育会的な管理体制を嫌って、世の中一般に楽しいと思われてるものを否定して、俗にいう意識高い系まで馬鹿にしてたら、中々居場所なんかないねん」
「会社も同じか」
「え」
「お前が会社作ったんもそういうことやろ」
あえて難しいことを言って突き放したつもりなのに、即レスがきて驚いた。

「レースで勝ちたいとか、若くして金を稼ぎたいとか言ってるけど、そうじゃなくて自分の居場所がそこしかなかったんやろ」
「それはそうかもしれん」
「で、お前その金はどうすんねん」
接続詞が全く機能していないヤンキーとの会話は、テンポが早くていつも楽しい。
「特に決まってない。また会社立てたり大学行った時のために、適当に運用しとこかな思てる」
「アホなんか、お前は。金は使うためにあるんやろ、手元に置いといてどないすんねん」
「ほなお前やったらどうすんねん」
「とりあえず外車買うて、タワマンに住む。ほんで女とデートしまくる」
「なるほど」
「この街でそれやったら、毎日違う女と遊べるわ」
もちろん共感はできないのだが、最近そういう感覚も理解はできるようになった気がする。

「お前は選択肢が多すぎんねん」
「かもしれん、それを意識して生きてきたからな」
「それが通用するのは大学までや。その後は選択肢が多ければ多いほどしんどいだけや。いつまで選択肢広げ続けるつもりやねん」
こういう時のヤンキーは本当に鋭い。

『何も干渉しないから全て自己責任で考えて行動してください』と言われても、それを活かしきれる人間などごく僅かしかいない。
ならばいっそのこと厳しい前提で管理を受け、行動を制限された方が、むしろ生きている感じがする。
だから、キャンパスライフを全て部活動に費やしたり、構造上搾取されていると分かっていても会社員であり続ける人は多い。


「で、今年はどうすんねん」
「左脳を停止しようかと思ってる、一旦」
「は?」
「今まで固めてきたロジックとかは全部捨てて、右脳に語りかける生き方をしようと思ってる」

これまで仕事において大きな武器となっていたロジカルシンキングと瞬発力をこれ以上磨かないというのが今年の指針だ。
それを磨くことによって置き去りにされてきたものたちを取り戻すと共に、今まで最初から受け入れて来なかったものを一旦受け入れてみる。

「アホにも分かるように説明してくれ」
「ミュージカルとか美術館行ったり、特に目標もなく語学とかボイトレやったり。飯に金かけて。あと服もいっぱい買う」
「なんやねん、それ」
「今までひたすら効率を追求してきて、ある程度行き着いた感はあるから、今年は徹底的に逆張りする」
「ほんまにお前は、中庸ってもんを知らんのか。だからお前は結婚できんねん」
「知ってる」
ヤンキーには付き合って5年の彼女がおり、来年に籍を入れると聞いている。

「今年は熱海行って来たわ」
仕事の話はしないが、毎年彼女との近況報告は欠かさない。
喧嘩は絶えないらしいが、これだけコロコロ仕事を変えて5年続いているのは本当にすごいことだと思う。

ふとラインをチェックすると、半年前に知り合ったベンチャー志向sの大学生から「東京でまた会いませんか」というメッセージが来ていた。
「すみません今、資本主義との戦いは休戦中なんです」と言いたくなるのをこらえて、適当に返事をする。

「けど羨ましいわ。将来の不安とか全くないわけやろ」
「まあ、もともと楽観主義者やから、不安になったりすることは基本ない」
「そういうとこが可愛げないねん」
「それは良く言われる。けど『媚を売っている』て言われるよりは100倍マシやと思ってる」
「いや、もうほんまにそういうとこやって」

せっかくなんで、もう少し素直に生きるなら、今がチャンスなのかもしれない。
一生行くことはないと思っていたディズニーランドにもせっかくだし、今度行ってみようか。


「ほな行くわ。東京砂漠で頑張れよ」
「ああ」

ポン、と1万円札を置いて、ヤンキーは立ち上がった。
本来であれば所得の多いこちらが出すべきなのだが、どんな時でも1万円を置いて行く彼の生き方を尊重して、そのまま受け取ることにする。

ヤンキーの残した吸い殻の煙をじっと見ていると、卓上のスマートフォンが振動し始めた。
妙子だったらいいなと思いつつ、去って行くヤンキーの後ろ姿を眺める。
来年の空模様はどうだろうか。

まあきっと、晴れるに決まっている。はずだ。

続・インドで僕も考えた

「そうだ、インドに行こう。」


思い立ったのはいつだったか忘れてしまったが、東南アジアを制覇し、その他のアジアのマイナー都市にも顔を出すようになり、4月からヨーロッパに行ってしまうことを考えると、今しかないという思いが確かにあったことは覚えている。
未知の世界に行くワクワク感はないし、あの時の興奮をもう一度という大きな期待もない。

あるとすればそれは義務感と飢餓感が交じり合ったような、ある種押し出されるような感覚だった。

どうせなら、ということでスリランカから入り、バンガロールでいくつかビジネスの話もしたものの、今回の旅のメインはあくまでコルカタ。
それまでの行程はいわばウォーミングアップみないなものだ。

コルカタに着くと、適当に落ち着ける場所を見つけ、9年前、自分が高校二年生だった頃に書いたインド訪問報告記を読み始める。
自分の担当したページに行くと「インドで僕も考えた」という明らかに椎名誠からパクったであろうタイトルと共に、つらつらと当時の心境が書かれていた。


長い長いフライト、長い長い手続きをを終えて空港から一歩外に出ると、もわっと生あたたかい湿気が押し寄せてきた。道の脇には手書きの紙を掲げて、必死に何かをアピールしているインド人がざっと五十人。彼らと自分達の間は一本のロープで隔てられていた。有名人を取り囲むファンのようだったといえば想像がつくだろうか。彼らの前を通り過ぎ、バスへ向かおうとしていると、何の遠慮もなしに車が目の前を横切っていく。クラクションが絶え間なく鳴り響いており、何やら言い合いをしているインド人もいる。「怖い」それが僕のインドに対する第一印象だった。


こんな感じの書き出しだ。
昔の"僕"はほとんど初めての海外だったこともあり、過保護な環境で育ったこともあり、ただただビビっていた。
腹も壊したし、熱も出て散々な思いをした。心も体も削られ、ほうぼうの体で帰って来たと記憶している。
それが、再びコルカタの地に降り立った今の"僕"は、笑いながらタクシーの運転手と交渉し、ノールール状態の交差点を平然と渡り、新しくできた公園に暇人たちと一緒に寝転がって呑気に本を読んでいる。
信号待ちの時に出会った親切なインド人に教えてもらった街一番のレストランに行き、オシャレでマイルドなインド料理を黙々と食べ、ローカルな電車やバスも何なく乗りこなす。
随分と変わったものだ。
自分もインドも。
10年近くも時を経れば大体のものは変化していく。

 

最後の方にはこんなことも書かれていた。


しかし、僕は一貫してお金をあげなかった。別にお金をあげるのをケチったからでも、何か物乞いに対して恨みがあるからでもない。最初からあげないと決めていたからだ。僕はお金をあげることによって問題が解決した気になるのがいやだった。その場限りの「人を一人救えた」という小さな喜びや満足感にひたるよりは、お金をあげられなかったという苦い思い出として日本に持ち帰る方がよいと思ったのだ。
生意気だと思うが、僕らは一人一人をその場限りで救うのではなく、根本的に何かを変えなければならない。それに少しでも役立つためにはどうすればいいかと考えていかなければならないと思う。


自分でも書いている通り、17歳の青年にしては随分と生意気な発言だ。
大それたことを書いてあるが、この時きっと色々思い悩んだ挙句、この訪問記にはこういうテイストで良さそうだと判断して書いたに過ぎない。
色々と理屈をつけているが、さすがに今なら分かる。単にお金を渡すより渡さない方が気が楽だったからであるということが。
一緒に行った友人の言葉を借りると、あげずに「済ませた」ようなものである。

けれども心残りはどこかにずっとあった。
物乞いにお金を渡さなかったことではなく、このように立派な文章を書いてしまったことについて。


これまで数々の途上国を訪れて来たが、誰かに直接お金を渡したことはない。
いつも道端に倒れている人を見ては何か心に引っかりを覚えるのだが、そこを足早に通りすぎる理由を考えては逃げるようにその場を後にするということを繰り返してきた。
ASEAN諸国を制覇する頃には、そういう光景にも慣れてきて、もうほとんど何とも思わないようになっている。
ただ一つ、自分が高校の時、書いてしまった生意気な発言だけが心のどこかにわずかに引っかかっていて、それが最後の砦だった。

9年経って、あらゆるしがらみから解放され、ようやく同じ場所に戻ってくる機会を得た。そして、僕は物乞いにお金を渡すようになった。
社会のシステムを考えるなんて大それたことを言う前に、まずはやらなければならないことがある。
いつも小銭がないから、すぐに取り出せる場所にお金がないから、という理由でその場をやり過ごしてきた。だから、買い物をする度に嫌がられながらも、あえて細かく小銭を作り、常にポケットに入れておくことから始めた。

そうやってようやくスタート地点に立ち、お金を渡していく中で、気がついたことがある。


多分、お金を渡す、渡さないはどちらでも良いのだ。
大事なのは相手にどのくらい寄り添えるているかである、と。


子供を抱いて道端で倒れている母親がいた。枕元に置かれている銀色の入れ物に10ルピー札を入れた。お札が飛んでいかないように、必然的に歩を止めてかがみ込むことになる。その時に、彼らは毎日こんなにも低い位置から世界を見ていたのかということに気がづく。幼児よりもさらに低い視点でずっと街ゆく人を見ているのだ。その時かがんだ3秒間だけは彼らと世界を共有できた気がした。


次に道端に座り込んで何かをしきりに呟いている老人にポケットに入っている小銭を全て渡す。今度は小銭なので、立ったまま彼の手にジャラジャラお金を落とす。そして、そのまま通りすぎる。何も感じなかった。いや、自分がとても事務的だと感じた。チケット代を払っているわけじゃないんだからと。そして気づいたのだ。大事なのはお金を渡すというその事実ではないということに。


その後に肩の骨が異常に膨らんでいて、右腕が上がらなくなっている男性に遭遇した。じっと見ていると彼の元にチャイを持った男性が近づいていき、かがみ込み、話しかけ始めた。自分の持つコップよりもひと回り小さいコップにチャイを入れ、まあ元気だせよと言わんばかりにコップを勧めている。
ポケットに手を入れかけていた僕は、気まずさを覚え、その場を逃げるように後にしたことは言うまでもない。

 

ここではあくまで一例としてインドのエピソードを語ったが、これは別に貧困地域に限った話ではない。
都会であれ、田舎であれ、会社という特殊なコミュニティであれ、あるいは学校の部活動なんかでも似たような状況は起こっている。
日本は経済的には高水準なところにいるのかもしれないが、ある意味ではとても貧しい。
自分自身、学校、会社も含めて色々なコミュニティに属してきたが、その時に感じた歪みのような感覚は、きっとインドで感じたそれと同質のものだったのだろう。

もしそういった歪みに気付き、それを縮める向きに何かをしたいと思うならば、大切なことは2つあると思う。
自分自身の抱える問題を素早く解決し、自分以外の問題を考えられる余裕が持てるように努力すること。
そしていざ自分以外の誰か、何かに寄り添える余裕ができた時にきちんと寄り添うこと。
この2つだ。
後者だけしかできないとただ優しいだけの人になり、前者だけしかできないとひどく冷たい人になってしまう。

そして、僕は今、ひどく冷たい人のままだ。

でも少しづつでいいから、温かみが増していけばいいなと思う。

 

それが今回のインドで得た感覚であり、僕の財産でもある。

 

また来るからね。

 

Q.E.D.

家賃とランチにこそお金をかけようじゃないか

「固定費を減らしたい」「貯金をしたい」

 

よくそんな話を耳にする。

 

かく言う自分も昔はそう思っていた。

アルバイトやサラリーマンは、月に稼げる給与が決まっている以上、手元にお金を残すためには支出を減らしていくしかない。

死語になったと聞いて久しい"エンゲル係数"なんて言葉もある。

なんだかんだ税金は引かれるし、社会保険料は結構バカにならない。

スマホ代も高いし、あまり足を運ばなくなったジムの会員費や、女性ならエステ代なんかもある。

たまにはお金を気にせずパーッと飲みたくなることもだろう。


そうなると、一番確実なのは何か。
と考え、大抵の人は家賃とランチの節約に行き着くのだ。

 

ケチの極みだった僕はことさらこの2つにこだわっていた。

大学の頃は、親戚の空き家を2万円で借りて4年間住み込んでいたし、社会人になってからの寮生活は家賃1万円、寮を出てからも好立地と低価格を両立しようと死ぬほど物件を探し、契約時にさらに値切った。
大学で部活をやっていた頃は一生学食で、旨くてカロリーとタンパク質が摂取できる安いメニューの組み合わせを日々考え続け、社会人になってからは会社の福利厚生により、ランチ代は月3000円程度に下がった。

その分、苦もなくお金は貯まるし、何かを買いたいと思った時に不自由した記憶がない。
それはそれで、ある意味幸せだったのかもしれない。

 

けれども、東京に来たタイミングで全てを変えた。

 

あの慣れない満員電車に毎日乗ってまでやるべき大層な仕事はないだろうし、食べたいランチを我慢しなければならないほどみずほらしい生活を送っているわけでもないはずだ。

通勤で限りなくストレスを溜め、昼ごはんすら自由に食べられないようでは、一体なんのために東京に出てきたのか分からない。
そこまでしてキャリアや高給を得たいとは思わなかった。
色んなことを我慢する人が多すぎるからこの街は息苦しくなるわけで、その中の一人になって、マジョリティに貢献するのは絶対にゴメンだった。
年齢的にもまだ意地を張って許されるタイミングだと勝手に思っている。

 

そして東京に来て感じるのが、見事にかけるお金とサービスの質が比例しているということだ。

東京は物価が高いというが、それは半分正しく半分間違っていて、「割高なものはあっても、割安なものはない」が多分正しい。

ボッタクりも当然あるが、値段相応に質の良いものもある。
安い家や安い食材はあっても、基本的に全てワケアリだ。

東京以外の都市のように安くて質の良いものは、ほとんどと言っていいほどない。
あったとしてもバカみたいな競争率にさらされていて、それをかいくぐるコストを考えると、トータルでは決して割安とはいえない状況だ。

 

となると結局「値段相応に質の良いもの」を手に入れることが正義となり、リビングコストは必然的に上がる。

そして、それがどんどんエスカレートして自分の予算の限界まで来る。

けれどもそれがかえって経済的なのかもしれない。

閑静な住宅街に済むことで喧騒から離れ、食べたいものを食べたい時に食べることで、疲れが癒される。
住居も食も都心に近づけば近づくほど高くなるが、その分あの満員電車に乗らなくて済む。

そのおかげで余計なストレスを溜め込まなくなり、結果として全体の支出は少なくなる、と思うのだ。


この売り手市場なご時世で、仕事にありつけない心配をしなくて良いのであれば、わざわざ東京に出てくる必要はない。
その中であえて慣れない東京に出てきている以上、仕事に思う存分打ち込んだ方がいいと思うし、借金しない程度にキャッシュフローが出ていれば、それでいいのではないか。

そんなことをようやく客観的に考えられるようになった頃には、すでに頭は海外に行っていて、何だかんだで東京生活はもうすぐ終わりを迎えそうだ。

 

仕事と地域特性によって、家賃と食に対するお金のかけ方を変える。

 

そんな真面目なのかアホなのか分からないことを、海の向こうでも考えながら生きているのだろうか。

 

答えはまあ、行けば分かる。

 

それでも僕はついていると思う

最近チョンボが多い。

 

色々と考えることが増えてきたせいなのかもしれない。

 

サラリーマンだった頃は自由な時間がほとんどなかった代わりに、考えることもそれほど多くなかったが、今は全く逆の生活。
自由な時間が腐るほどある分、考えることもそれなりに腐るほどある。

 

朝から温泉に行っても、昼からカラオケに行っても、夜気分がのったから徹夜で仕事を続けて次の日に一生寝ていても、誰も何も文句は言わない。
昼飯をいつ誰とどこに食べに行こうが構わないし、煩わしい飲み会のセッティングも一発芸もクリスマス会のプレゼントの準備もない。
いつでも休めるし、極端な話、明日からフライアウェイしますと言ってもオッケーだ。

 

けれどもそれは、その多すぎる選択肢の一つ一つを自分で消化していかなければならないということでもある。

 

今日の相場を気にしながら、目の前のプログラムが吐くエラーに腹を立て直しつつ、取引先とアポの調整をし、来たるべきスキー旅行の場所と日程を調べ、仲間のレポートのレビューをし、決算直前の節税対策と来期のキャッシュフローに頭を悩ませ、名刺のレイアウトを微調整し、「今日ランチいかない?」という友人のラインに先回りして返答すべく店を探す。

すると、何か大事なことをすっ飛ばす。


「あ、やべ歯医者の予約が」

「え、今月の電気代払ってたっけ」

「うぉー、椎名林檎のチケット先行予約の期限が、、」

「ぎゃーあ;うぇいcyvwろcqwfyゔくぇb」

 

それでもやっぱりストレスフリーに勝るものはないと思っていて、何かを管理される生活に戻るつもりは更々ないが、シングルタスク人間にとっては少々不向きなライフスタイルなのかもしれない。
就活の時以来、手帳など持ったことがなかったが、さすがに今はスマホのスケジューラを駆使して、何とか日々をやり抜いている。

 

ただ、それでも色々ミスる。

 

薬局に行って、買いたい物リストを完全に網羅したと思ったのも束の間、買ったものをレジに忘れる。
電車で折りたたみ傘を綺麗に畳むことに集中し、出来栄えに満足してそのまま隣の席に置き忘れる。
TSUTAYAでセルフレジに挑戦し、マニュアルの手順を必死にこなすことに気が行き、財布を忘れる。
レンタカーの返却時間ギリギリを攻めきった満足感に浸り、定期入れを置きっぱなしにする。
離島で朝一番のフェリーに乗るために余裕をもって早起きし、寝起きで触ったMacを忘れる(それも恐ろしく離島だ)。
中国やカンボジアといった「物をなくすと終わりな国」で、注意深く金庫にしまったパスポートをそのまま置いてくる。

 

このくらいならまだマシだが、最近一番ひどかったのは、香港から日本への飛行機を乗り過ごしたことだ。


のんびり観光した後に「さあ市内でクッキーでも買って帰ろう」と乗った電車で、1時間後に飛行機が離陸することを知る。
慌てて駅のチェックインカウンターに行き(香港は空港直結の駅でチェクインができる)、90分前に締め切りだと知りながらもとにかくゴネてみようと乗り込んだ結果、、、

そもそも名前が違うと言われる。

パスポート名の◯◯SHIMAであるはずが、予約名は◯◯SHUMAになっている。


しゅまー。。。


中国語圏に滞在しすぎた結果、名前まで中国語化してしまったとでもいうのだろうか。

 

さすがに自分でも呆れ果て、大人しく夜中の3時発の航空券を再手配した。

 

付き合いの浅い人からは何事も計画的でキッチリしているA型だと言われることが多いが、とんでもない。
引きとツキだけで生きているメチャメチャテキトーなO型人間である。

 

ただ、買い物袋も傘も財布も定期入れもMacも紆余曲折を経て最終的には手元に返ってくるし、パスポートも無事に回収できた。
夜中にタイの国境でバスに捨てて行かれても、しれっと違うバスがやって来て事なきを得る。
北京で出国までに3時間かかる大行列に遭遇しても、目当てのマッサージ屋が見つからず珍しく早めに空港へ向かったことが幸いし、ギリギリクリアする。

香港で飛行機を逃しても、年末にたまたまラウンジ使い放題の権利をゲットしていたのが功を奏し、シャワーも食事も確保できた上に、静かで居心地の良い環境でアホみたいに仕事が捗る。

結局、世の中プラスとマイナスは調和しており、大抵のことは何とかなるのである。
だったら人生先が見えてしまうよりも、トラブル続きでいつ何が起こるのか分からない方が楽しそうではないか。
定められた計画を丁寧かつ慎重に遂行するよりも、少々外れても大丈夫だという根拠のない自信の元、ノリと度胸だけで突き進んでいった方が、ストレスが少ないし、得るものも大きいのではないか。

 

そんなことを考えながら、毎度のように家に置き忘れて買う羽目になった何個目かの変換プラグを片手に、香港に置き忘れたtype-C USBケーブルに思いを馳せ、最近数の増えてきたハードウェアたちへの電力の供給不足に身悶えして苦しんでいる。

小賢しくなりたくない

激動の一年であった。

年初に前の仕事を辞め、2回目のニートを経験した後、再就職。
その再就職先も来年には退職することを決め、株式会社を作った。
既にキャッシュフローも順調に回り始めている。
引っ越しは今年だけで2回、そして月1くらいは海外へ旅に出るスタイル。

こうして振り返ると一貫性のかけらもなく、むしろ「フラフラすることが僕の一貫性です」と言いたいくらいだ。

もちろん来年もどうなるのかは全く分からない。
けれど、不安はほぼゼロで楽しみだけが極大化されていることが、この3年間の成長なのかもしれない。


東京に丸一年どっぷり浸かって気づいたことがある。
僕はそれほど多くを求めるほど乾いてはいない、ということだ。
確かに尖ってはいるけど、複雑な家庭に生まれた訳でもなければ、何か大きなコンプレックスを抱えている訳でもないし、すごくお金に苦労した過去がある訳でもない。
普通にストレスなく暮らしていける余裕があれば、十分幸せだと思う。
大きな目標を持って、何かに強い執着を持つほどには、乾いていないのだ。
ただ、みんなと同じが嫌なだけで、人並み以上に面倒くさがりなだけで、だからあえて早めに行動し続け、その結果、東京に行き着いた。
それだけである。

確かに、得たものはたくさんある。
経済的余裕、人脈、お金の回り方、政治の決まり方、そして日本の中心にいるんだという実感。
自分に関西アイデンティティが強く残っているため、まだ影響は薄い方だが、地方から出てきて東京に骨を埋める人が多いのも頷ける。
それほど色んな要素が凝縮された場所だった。
多様な価値観に触れ、今まで経験したことのないことも沢山経験した。
仕事におけるストレスが限りなくゼロになり、時間もお金もある程度自由になった。
こんなに楽な人生はないのではないかというくらい、今は楽な状態だ。

けれども、僕はその延長線上に人生を描く訳ではなく、せっせとまた新しいレールを敷き始めている。
ここに長くいてはいけないという危機感と、ここに長くいても本質的に満たされないという不足感がはっきりとあるのだ。
上京した当初に得られた刺激や新鮮さはいつの間にか影を潜め、沈みゆく船に乗っている感だけがどんどんと大きくなる。
まさに、新卒で大企業に入った時に抱いていた時の思いと同じである。
それを今は東京という街、ひいては日本という国に抱き始めている。

だから少しの間、日本を離れようと思う。
ヨーロッパの小さな国に仲間たちと移住し、腰をすえて仕事ができる環境を構築する。
EU圏のあらゆる国を訪れ、その暮らしや文化に触れながら今後の人生を模索する。
見たい景色を見て、食べたいものを食べ、吸いたい空気を吸う。
半端じゃなく漠然としているが、それが来年のアジェンダだ。


来年はきっと違うことを言っていると思うが、それでいい。
少なくとも今を我慢しないというスタンスを貫きつつも、長期的な観点で見てベストを尽くせているはずだ。
東京に来る直前に少し書いたが、僕はやはり「莫大な理想を掲げてそこに酔いしれ、それをモチベーションとして頑張る」タイプではない。
「本質的で面白いと思うことを丁寧に拾い、それを繋げていく」タイプである。
生まれた時から「乾いていない」僕らができるのはきっとそういうやり方だと思うし、これから主流になっていくのもそういう考え方だと思う。


家にいると集中できないから、ちょっと自習室に出かける。
海外に移住するというと大げさだが、多分、それと同じノリだ。
ちょっと場所が遠くなって、期間が長くなるだけだ。
ただ、一緒に行動できる仲間がいることは本当に幸せなことだと思う。

行動できるバカでありたい。
最後は論理ではなく、ノリで決定できる余裕を持ちたい。
来年はもっと激動の一年になることを願う。


良いお年を。

Q.E.D.

自由と不自由の狭間で

ラオスの朝は早い。

托鉢 -お坊さんにご飯をもらっていただく行為 - を行うためだ。
人々は毎朝、道端に腰をおろし、お坊さんが前を通るたびに、彼らが肩からかけている釜のような容器に、お米を一つまみ入れる。
一人通ってはつまみ、また一人通ってはつまみ、それをお坊さんがいなくなるまで繰り返すのだ。
お坊さんは何人かのグループになって行動しているが、仲間とも一般市民ともほとんど言葉をかわすことはない。いたって無表情の内に黙々とその行為は執り行われる。
そうこうしている内に日が昇り、徐々に街が活気づいていく。

ラオスの古都ルアンパバーンは、この托鉢において、おそらく世界で最も有名な地だ。
カラフルな衣服を身にまとい、列をなして行進してくる僧侶を一目見ようと、世界中から多くの人がやってくる。
街自体が世界遺産に登録されているため、多少観光地化している部分もあるが、それでも他の観光地のような騒々しさもなければ、お金をせびってくるような貧しい空気もない。
東南アジアの途上国ではデフォルトの「価格への上乗せ」もあるにはあるが、それも「正義あるぼったくり」とでもいうのだろうか、最初から大人しめの価格で、最終的に「まあええか」と思える穏やかな取引になるが基本だ。
あ、ラオスとタイの国境でバスに置いていかれた時に、足元を見て10倍の値段をふっかけられたのにはさすがにキレたが、あれは特別。
困っている人の弱みに付け込むようなことをしてはいけない。

ラオスはアジアの中で最貧国と言われているが、いざ来てみると不思議とそんな感じがしない。
ヴィエンチェン、ヴァンヴィエン、ルアンパバーンと移動し、その間の風景をずっと眺めていたが、その感想は意外にも「整っている」「地に足がついている」というものだった。
もちろん田舎の山道にはお洒落なカフェもなければ、でかい映画館もないわけで、ただ家と家畜と畑があるだけなのだが、一つ一つがきちんと秩序だっているように感じる。
高校の時にインドの行って以来、さまざまな発展途上国を訪れたが、それらの国では必ず使われているのかどうか分からないボロボロの家だったり、起き上がることができず地面に横たわる人達の存在があった。
急激に発展しつつある場所がある一方で、それが原因で格差が生まれ、ひづみが生じていた。
そのひづみがラオスにはあまりない。
少なくともそれが感じられない。
そんなことを考えながら、炊鉢をもう一度眺める。
よく見ると、人々が持っているお米を入れた桶の側にまた別の洗濯籠のような入れ物があり、そこに僧侶が時々袋を入れていた。
どうやら、お菓子の詰め合わせのようだ。
そのお菓子の詰め合わせは「托鉢をしたいけど、お米はないし、もっと簡単なものがいい」という観光客のニーズにこたえて開発されたものらしく、屋台のおばちゃんがそれを売っていた。その屋台のおばちゃんは、商売と同時に自身の托鉢もしている。
つまり、お菓子を売って、炊鉢をしていたおばちゃんの元にまたお菓子がもどってくるのである。
僧侶としても毎日あまりにも沢山のものをもらうので、こうしてお裾分けしているのであろう。
それがめぐりめぐって、貧しい市民のもとに還元される。
ラオスに想像していたような貧困がないように感じるのは、多分「全員最低限食っていければ、それでよい」という考え方が根付いているからなのかもしれない。

少し夕方街を散歩していると、水をかけられた。
今日二回目だ。
実は朝、バス停に向かうときにもかけられて、靴下がずぶ濡れになっていた。
ノースリーブにバックパックはやはり変なのだろうか。
恋人もいない、若い男の一人旅はやっぱり格好悪いのであろうか。
下を向いて、さも何もなかったかのように歩き続ける。
いじめに耐える中学生と言えば、その感じは伝わるだろうか。
自分は別に何ともないぞ、と自分に言い聞かせる。

歩みを進めると、前方でまた水かけをやっている。
よく見ると、通行人全員が水をかけられており、どうやら自分だけではなさそうだ。
祭りか何かなのだろう。
前を歩いていた女の子も盛大にバケツから水をかけられ、まわりで歓声が上がっている。

自分の番になった。
さてどんな顔をしていこうか。
リュックサックに入っているPCは水に濡れるとやばい。
かといって、怖い顔をして「No」オーラを全身からかもしだしながら歩くのも、なんだか楽しんでいるところに水を差すようで申し訳ない。
結局何を考えているのか分からない、中途半端な顔つきで、歩を進める。
最初に、洗面器にたっぷり水をいれたおじさんと目が合った。
半笑いで、かけていいかと合図してくる。
来るならこい。
さらに歩を進めると、彼は洗面器を持ち上げ、ボクシングのフックさながら、真横に水をかけてくる。

スッ。

反射的に身をかがめ、おじさんの水波を完全によけてしまった。
なめてもらっちゃ困る。これでも運動神経には自信があるんだ。

後ろから女の子が出てきた。
さっきのおじさんの娘だろうか。
屈託のない笑みをこちらに向けてくる。
そして間髪入れずに今度は縦向きに水をかけてきた。

ビシャリ。

同じ体勢でよけたけれど、今度は頭からリュックまでずぶ濡れになってしまった。

後ろから歓声が上がり、女の子が嬉しそうに微笑む。
おじさんも笑って頷いている。

靴下はずぶ濡れだし、パソコンに水がかかってしまったかもしれない。
ポケットに入れてあるお札はヨレヨレになっているだろう。
もう太陽も沈みかけていて、乾かないかもしれない。

少し凹みかけて、思った。
でもそれがどうしたというのだ。
そんなものは失っても、いつでも取り戻せる。
直感的にしか分からないが、多分それよりも大切なものが、もっとある。
そう思うと、すべてがどうでも良くなってしまった。
だいたい、4月にこんなところにいる方がどうかしている。

そして、いつぶりだろうか。

色々おかしくなって、本当に久しぶりに、心から笑った。

本能的に、西日が綺麗だと思った。

そんな旅だった。

 

 

Q.E.D.