ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

メコンの夜明け

ラオスに来ている。

バンコク経由で行く予定が、いきなりバンコクでの飛行機乗り換えにミスり、せっかくだからとタイのよく知らない街を経由して行こうとすると、本当によく分からない真っ暗な駅におろされ、野良犬の気配を全身に感じながら命からがらホテルにたどり着いた。

極めつけは、タイからラオスに向かうバスにタイとラオスの国境で置いていかれたことである。

イミグレと入国料(visaとはまた別)の支払いと入出国記入書類が別の場所に配置されており、ぐるぐるとそこを回っている間に他の乗客はそそくさと手続きを終えていた。

改札口のようなものを抜け、遠くに光る大型の車まで駆けていき、「お~危ない危ない」と思って乗り込もうとすると、それは自分が乗ってきたバスではないことに気付く。
まわりに他にバスらしきものの姿はない。

ASEAN 10ヵ国を制覇した記念すべき瞬間を祝福する余裕もなく、奇跡的に入国審査で必要かもしれないと思って持ってきたすべての荷物を手に、途方に暮れることとなった。


ラオスの首都、ヴィエンチェンに着いてからも、特に目的があって来たわけではないので、まあ暇なわけであるが、その一方で常に何かを考えているようだ。

今日の宿はどうするか、明日は何時のバスに乗るか、そもそもバス乗り場はどこか、ケータイの電波はどこで手に入れるか、どの容量プランが最適か、どの店で契約しても同じ値段なのか、そもそもどこに店があるのか、この先どこか心惹かれる目的地はあるか、どこで飯を食えば体調をキープできるか、プロテインは足りているか、あのおしゃれな三角の帽子はどこに行ったら買えるのか、価格はいくらまでなら妥協できるか等々。

その結果、街の中心部まで出かけ、その途中の両替屋のレートを頭に記憶し、たまたま発見したバスターミナルの様子をながめ、そういえば服がなかったことを思い出して買い、携帯屋が見つからないので、一服もかねておしゃれなカフェに入り、これからのto doリストに関する情報を集め、日本から急ぎの問い合わせが入っていることに気が付き、謝罪しながら高速で返信し、それ以外の人達にもついでに連絡し、再び歩き始め、simカードをゲットし、宿を確保し、ひと眠りしてからどうもネットでははっきりしないバスについての情報を足で集める、といったことをしている間に日が暮れていく。

一円もお金を稼いでいないからといって主婦がそれほど暇でないのと同様に、実は旅人もそれほど暇ではないのだ。

タクシー、タクシーと呼びかけてくるおっさんの相手をしているほど、余裕はないのだ。


考えることが意外と多い分、それを整理するために歩くことが苦でなくなるのかもしれない。

むしろ考えることがゼロになることが自分にとっての苦しみであり、そうなると多分、中国にいたときのように「早く帰りたい」となるのだろう。


自分はだいぶ孤高な方だと思うが、それでも日本にいるときは他の人の都合や気持ちをあれこれ考えた上で、自分にとっての必要事項、関心事項も同時に考えたりするので、結構負荷がかかっている。


その負荷がゼロにならない程度に、考えることを減らすことが、自分にとっての休息なのかもしれない。

 

いずれにせよ、東南アジアでこういったスタイルの旅をしている限り、何があろうと基本的にはなんとかなってしまうことに気が付いてしまった。

そういう意味で、ある意味終わりが見えた。

 

もういい加減、手に負えるトラブルだけを楽しむ旅はやめて、もっと計画的で大きな目標を持った旅か、計画しても自分のキャパを超えるトラブルが続出する旅に出なさい。


そう言われている気がして、ならない。

 

とことんやってみて、感覚的に答えがでたことに安堵するとともに、もうこんな感じで旅をすることはないのかな、という少しの寂しさもある。


まあ、でもまずはこの旅をしっかり終わらせることだ。


そのときにきっと、もっと確からしい答えが出ているだろうから。


Q.E.D.