ロマンはどこだ

ビジネスや社会のフレームを考えるのが好きですが、きっとそういう話は一切書かずに、ふざけたことばかり言っているのだと思います。

自由と不自由の狭間で

ラオスの朝は早い。

托鉢 -お坊さんにご飯をもらっていただく行為 - を行うためだ。
人々は毎朝、道端に腰をおろし、お坊さんが前を通るたびに、彼らが肩からかけている釜のような容器に、お米を一つまみ入れる。
一人通ってはつまみ、また一人通ってはつまみ、それをお坊さんがいなくなるまで繰り返すのだ。
お坊さんは何人かのグループになって行動しているが、仲間とも一般市民ともほとんど言葉をかわすことはない。いたって無表情の内に黙々とその行為は執り行われる。
そうこうしている内に日が昇り、徐々に街が活気づいていく。

ラオスの古都ルアンパバーンは、この托鉢において、おそらく世界で最も有名な地だ。
カラフルな衣服を身にまとい、列をなして行進してくる僧侶を一目見ようと、世界中から多くの人がやってくる。
街自体が世界遺産に登録されているため、多少観光地化している部分もあるが、それでも他の観光地のような騒々しさもなければ、お金をせびってくるような貧しい空気もない。
東南アジアの途上国ではデフォルトの「価格への上乗せ」もあるにはあるが、それも「正義あるぼったくり」とでもいうのだろうか、最初から大人しめの価格で、最終的に「まあええか」と思える穏やかな取引になるが基本だ。
あ、ラオスとタイの国境でバスに置いていかれた時に、足元を見て10倍の値段をふっかけられたのにはさすがにキレたが、あれは特別。
困っている人の弱みに付け込むようなことをしてはいけない。

ラオスはアジアの中で最貧国と言われているが、いざ来てみると不思議とそんな感じがしない。
ヴィエンチェン、ヴァンヴィエン、ルアンパバーンと移動し、その間の風景をずっと眺めていたが、その感想は意外にも「整っている」「地に足がついている」というものだった。
もちろん田舎の山道にはお洒落なカフェもなければ、でかい映画館もないわけで、ただ家と家畜と畑があるだけなのだが、一つ一つがきちんと秩序だっているように感じる。
高校の時にインドの行って以来、さまざまな発展途上国を訪れたが、それらの国では必ず使われているのかどうか分からないボロボロの家だったり、起き上がることができず地面に横たわる人達の存在があった。
急激に発展しつつある場所がある一方で、それが原因で格差が生まれ、ひづみが生じていた。
そのひづみがラオスにはあまりない。
少なくともそれが感じられない。
そんなことを考えながら、炊鉢をもう一度眺める。
よく見ると、人々が持っているお米を入れた桶の側にまた別の洗濯籠のような入れ物があり、そこに僧侶が時々袋を入れていた。
どうやら、お菓子の詰め合わせのようだ。
そのお菓子の詰め合わせは「托鉢をしたいけど、お米はないし、もっと簡単なものがいい」という観光客のニーズにこたえて開発されたものらしく、屋台のおばちゃんがそれを売っていた。その屋台のおばちゃんは、商売と同時に自身の托鉢もしている。
つまり、お菓子を売って、炊鉢をしていたおばちゃんの元にまたお菓子がもどってくるのである。
僧侶としても毎日あまりにも沢山のものをもらうので、こうしてお裾分けしているのであろう。
それがめぐりめぐって、貧しい市民のもとに還元される。
ラオスに想像していたような貧困がないように感じるのは、多分「全員最低限食っていければ、それでよい」という考え方が根付いているからなのかもしれない。

少し夕方街を散歩していると、水をかけられた。
今日二回目だ。
実は朝、バス停に向かうときにもかけられて、靴下がずぶ濡れになっていた。
ノースリーブにバックパックはやはり変なのだろうか。
恋人もいない、若い男の一人旅はやっぱり格好悪いのであろうか。
下を向いて、さも何もなかったかのように歩き続ける。
いじめに耐える中学生と言えば、その感じは伝わるだろうか。
自分は別に何ともないぞ、と自分に言い聞かせる。

歩みを進めると、前方でまた水かけをやっている。
よく見ると、通行人全員が水をかけられており、どうやら自分だけではなさそうだ。
祭りか何かなのだろう。
前を歩いていた女の子も盛大にバケツから水をかけられ、まわりで歓声が上がっている。

自分の番になった。
さてどんな顔をしていこうか。
リュックサックに入っているPCは水に濡れるとやばい。
かといって、怖い顔をして「No」オーラを全身からかもしだしながら歩くのも、なんだか楽しんでいるところに水を差すようで申し訳ない。
結局何を考えているのか分からない、中途半端な顔つきで、歩を進める。
最初に、洗面器にたっぷり水をいれたおじさんと目が合った。
半笑いで、かけていいかと合図してくる。
来るならこい。
さらに歩を進めると、彼は洗面器を持ち上げ、ボクシングのフックさながら、真横に水をかけてくる。

スッ。

反射的に身をかがめ、おじさんの水波を完全によけてしまった。
なめてもらっちゃ困る。これでも運動神経には自信があるんだ。

後ろから女の子が出てきた。
さっきのおじさんの娘だろうか。
屈託のない笑みをこちらに向けてくる。
そして間髪入れずに今度は縦向きに水をかけてきた。

ビシャリ。

同じ体勢でよけたけれど、今度は頭からリュックまでずぶ濡れになってしまった。

後ろから歓声が上がり、女の子が嬉しそうに微笑む。
おじさんも笑って頷いている。

靴下はずぶ濡れだし、パソコンに水がかかってしまったかもしれない。
ポケットに入れてあるお札はヨレヨレになっているだろう。
もう太陽も沈みかけていて、乾かないかもしれない。

少し凹みかけて、思った。
でもそれがどうしたというのだ。
そんなものは失っても、いつでも取り戻せる。
直感的にしか分からないが、多分それよりも大切なものが、もっとある。
そう思うと、すべてがどうでも良くなってしまった。
だいたい、4月にこんなところにいる方がどうかしている。

そして、いつぶりだろうか。

色々おかしくなって、本当に久しぶりに、心から笑った。

本能的に、西日が綺麗だと思った。

そんな旅だった。

 

 

Q.E.D.